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  • 2012.07.06 Friday
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「平和への祈り・まつりの輪」の皆さまへ

こんにちは!
もう秋風を感じるこの頃ですが、8月にピースランを完走した松本政昭さんのご報告文をアップいたします。
どうぞ、ご覧になってください。

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「平和への祈り・まつりの輪」のみな様、8月6日広島原爆ドーム前スタートのピースランでは大勢のお見送り、ありがとうございました。おかげさまで、昨年と同様、ちょっとしんどかったけれど広島から長崎まで走ることが出来ました。(歩きも多かったけれど)長崎は8月9日平和祈念像前にゴール。途中電車に乗りましたが、走った距離は延べ約130Km。一人の小さな行為ですが、「核兵器廃絶」「脱原発」に向けた大きなアピールでした。

昨年よりは2度位温度が低く、天候もおおむね曇りで、走りやすかったが、体調がいまいちで、その分苦労しました。九州では雨が多かったが、九州の雨は恐ろしい。日傘用の傘が、一瞬にして雨用の傘に変わってしまう感じ。しかも豪雨。



初日は原爆ドーム前を9時30分にみんなに送られて元気にスタート。すぐ長い橋を四つ越えるが、この暑さでは橋の昇り降りがちょっときつい。初日の目的地は42Km先の岩国。42Kmだけを考えると大変なので、ともかく中間地点の宮島(入り口)を目指します。ここでは昨年と同じ場所の「あなごご飯店」で昼食。そこのおかみから「昨年も来ましたね。席はあちらでした。」と言われました。




つぎに目指したのは、そこから10Km先の、昨年も休息した喫茶店。夕方でも日が直接射さなくてもムンムンと暑い。昨年は、その暑さのためこの喫茶店に飛び込んでママと親しくなり、「一年後にまた来るね」と約束していた。今年はその喫茶店をやっと見つけ出し、再会できたのは嬉しかった。そこにいたお客は「わざわざ東京から広島に来て訴えてくれて、あなたに感謝します」と言われました。親を広島の原爆で亡くされた方でした。




今年も他に色々な出会いがありました。同じく広島から長崎までを4日間で走るグループに3組ほど出会いました。数十名でタスキリレーすると言う。みんな私と同じようなゼッケンをしていて、やはり同じ目的で走る仲間が見つかると安心します。写真を取り合ったりもしました。




 長崎のゴールでは、また柵木富美さん、そして他の仲間が出迎えてくれました。楽しくもあり苦しくもあり、喜びも感激もあった4日間でした。




宇宙(そら)の約束

こんにちは!

遅くなりましたが、【平和への祈り・まつりの輪 2011】で、
柳美穂さんが朗読してくれた「宇宙(そら)の約束」をアップします。

山元加津子さんという養護学校の先生が般若心経を心で訳したという詩だそうですね。

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 宇宙(そら)の約束
心訳・般若心経「山元加津子」

自分の身体のその奥に
確かに確かに座っている
大きな宇宙の約束が
いつもいつもささやいている

いつかのいい日の明日のために
いつもいつもささやいている

忘れないでね
大切なのは
心の目と心の耳をすますこと
そして自分を信じること

むかしむかしのことでした
心の目と心の耳をすましたある人が
宇宙の約束とつながって
本当のことに気がついた
すべてのものは どれもみんな
その約束からできている

約束は目にも見えず 重さもなくて
あるのかないのか わからないけど

でも 宇宙の何もかもが
この約束からできている

「いいことに気がついちゃった」とその人は
苦しまなくてもいいんだなあ
悩まなくてもいいんだなあと
とてもうれしくなりました

宇宙に散らばっている
たくさんのつぶつぶは
約束のもとに集まって
海を作り 山を作り 花を作り 人を作る
約束は 目にも見えず
重さも持っていないけど
風をそよがせ 雨を降らせ
ときには星を輝かせる

誰かと誰かを出会わせて
誰かと何かを出会わせて
涙や笑顔を作り出す


私とあなた あなたとお花 お花と石ころ
みんな同じ
同じものでできている
違うのは
だれもが持ってる約束の

私が私である場所(とこ)や
花が花である場所(とこ)に
光があたっただけのこと
スイッチが入っただけのこと

あなたは私だったかもしれないし
私はもしかしたら
庭に咲くたんぽぽや
降る雪だったかもしれないね

約束は私を作り
私の中に 宇宙の約束が座っている
すべてのものが 約束の中にあり
約束はすべてのものの中にある

でもね
忘れちゃいけないの

約束には無駄がなく
必要なものだけを
いつもちゃんと作ってる

花がそこに咲くことは
それが大切だという証(あかし)
私がここにあるということは
それが必要だという証(あかし)

宇宙の約束とつながって
過去と今
今と未来
すべてのことを
見渡すことができたとき
きっときっとわかること

すべてのことは
いつもいつも
いつかのいい日のためにある

うれしいことも 悲しいことも
きれいなことも 汚れたことも
増えることも 減ることも
その約束の現れだけど
現れているすべてのことが
いつかのいい日のためにある

だから思うの

生きていると
いろんなことが あるけれど

楽しいことも 苦しいことも
悲しいことも うれしいことも
雨や 雪や 月の光が
空から降ってくるように
手をひろげて受けとめていけばいいんだね

怖がらなくてもいいんだよ
悲しまなくてもいいんだよ
だってすべてがだいじょうぶ
すべてがみんなだいじょうぶ


揺れる、歌う、踊る、祈る
跳ねる、描く、回る、思う
約束と つながっていく方法は
いつも私の中にある

揺れて踊って、飛んで思って
心の目と 心の耳が開いてく
そして本当のことを知る

さあ明日へ歩きだそう
大切なのは
心の目と心の耳をすますこと
そして自分を信じること

花が咲くように 雪が舞うように
月が照るように あなたといたい

鳥が飛ぶように 風が吹くように
海が歌うように あなたといたい

広い宇宙の中で 長い時間の中で
あなたと出会えたこと
きっときっと宝物

星があるように 山があるように
空があるように あなたといたい


映画「ホピの予言」2004年版上映会@OKUBO

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映画「ホピの予言」2004年版上映会@OKUBO
〜OKUBOでヒロシマ・ナガサキ・フクシマを語ろう〜
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2011年9月11日。
なんと多くの意味を持った日に、なってしまったのでしょうか。
2001年の同時多発テロから10年、東日本大震災から6ヶ月。
わたしたちは意味を持った日に、その日を振りかえざるを得ない。
なにしろ歴史は真実なのだから。そして多くの命の失われた「命日」。
8月という戦後66年を経て思うところは、まだ解決すらしない問題の何と多いことか、と。
安保問題からはじまる沖縄の基地問題をはじめヒロシマ、ナガサキの被爆者の抱える問題のほか、原子力発電所の神話が崩れたことはいうまでもなく犠牲者を新たに生み出してしまいました。
わたしたちは、いま何を考え何を発信していかなくてはならないか。語り継ぐ現実は何なのか。戦争は、戦後はアジアという異民族が共有できる思想、できない感情に満ち溢れています。 9月11日に人種の坩堝、アジアの臍であるOKUBOに集うことはどんな意味があるのでしょうか。
「ホピの予言 2004年版」を上映することは、ヒロシマ・ナガサキに落された原爆のルーツをドキュメンタリーで知ることが出来るほか、現実的で精神的な北米先住民の姿は浮き彫りにされます。
大国アメリカは、原子力エネルギーの基となる鉱物ウランの発掘をインディアンの土地から掘り出し、その採掘現場で先住民の人々と土壌は汚染されていく不条理が、映画によって描き出されます。
1945年のニューメキシコ州ロスアラモスからはウランから原子爆弾という名前を変えた新型兵器が搭載され、ヒロシマの空へ向かったのが、歴史を紡ぐ悲劇になったことも。
アメリカのインディアンに対する同化政策は、どこの国での先住民族に対する政策と同じものではありますが、わたしたちがあえて今考えていかなくてはならないことは、彼らの復権が大国の政策のなかでどう翻弄されていったことかという問題と、先住民の土地から採掘されるエネルギーや資源の誤用が、被爆国日本にいたらしめ、現在も未来もなお原発という脅威にさらされ続けているということです。
いま、OKUBOに暮らすアジア人たちが、自国を語り日本を語り戦争を語り、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマを語るとき、また新しい歴史が紐解かれるのではないでしょうか。同じ場所で映画を観て、参加者の思いをシェアできる会を開きます。

<ドキュメンタリー映画「ホピの予言」について>
北米インディアン・ホピ族には、ヒロシマに落された原爆は「灰のびっしりつまったひょうたん」といわれ、残されたメッセージがあります。地球最大のウラニウムのベルト地帯といわれ、とくにアメリカのウラン資源のほとんどがその大地の下にあり、世界のウラニウム・キャピタル、グランツやアメリカの原子力司令部ともいわれるロスアラモスを配した、いわば合衆国の核開発の心臓部に変貌してしまっているホピの土地。
核兵器であれ、原子力発電であれ、核開発の原点は、ウラン鉱石の採掘から始まり、その原点の採掘からすでに被爆者が生み出されている。のです。
<1986年宮田雪監督 ランドアンドライフ製作>


∞日時∞
2011年9月11日(日)
∞場所∞
蓬治療所内・はらっぱ蓬
新宿区百人町2-21-2 JR中央線大久保駅北口より徒歩1分
03-3367-4087  http://www.kurashino.jp/
∞時間∞
14時〜英語版上映(75分)16時〜日本語版上映(100分)18時〜シェアリング
∞料金∞
500円

・主催・Project For VOICES  
・共催・LAND AND LIFE テックワ・イカチ・プロジェクト 
    平和への祈り・まつりの輪
・協力・OKUBOアジアの祭


平和利用なんて無い!

広島で8月6日・前夜・ホテルの部屋でテレビを見ていました。
若いころ涙して読んだ被爆体験集「原爆の子」を手にして話されている方の映像でした。
思わず見入ってしまいました。
被爆者の方でさえ「原爆への怒り」が原子力発電という「平和利用」を積極的に肯定することで心の安定を保ってきたというのです。


以下、中国新聞からです。
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「原子力はおそろしい。悪いことに使えば人間はほろびてしまう。でも、よいことに使えば使うほど人類が幸福になり、平和がおとずれてくるだろう」

原爆投下から6年後の1951年に出版された被爆体験集「原爆の子」。田辺雅章さん(73)=広島市西区=が中学2年のときにつづった原子力の平和利用への期待は、約千点の作文から収録作品(105編)に選ばれた。

60年を経た今。「自らの認識を恥じている。『平和利用』なんてまやかしだった」。田辺さんは本を手にとり、絞り出すようにそう言った。3月に起きた福島第1原発事故。4カ月をすぎてなお、放射性物質をまき散らしている。

生家は旧広島県産業奨励館(現原爆ドーム)の東隣にあった。山口県内に疎開中、実家のほぼ真上で原爆がさく裂。2日後に家族を捜すため祖母と一緒に焼け跡に入り、残留放射線を浴びた。その後、下痢や発熱の急性症状に苦しんだ。

 完全復元は無理

7歳で両親と弟、家を失う経験は過酷すぎた。「原爆さえなければ」。やり場のない怒りに胸が張り裂けそうだった。しかし「平和利用」を積極的に肯定することで心の安定を保ってきたという。

自宅もあった爆心直下の街並みや暮らしをコンピューターグラフィックス(CG)で「復元」する事業を97年から主導。現在、手掛けているのは爆心地から半径1キロだ。その作業をしながら福島の避難住民に思いをはせ、胸が痛い。「失われた街の完全な『復元』は無理。命や健康だけでなく、古里の文化や歴史をも奪うのが放射能だから」

 兵器に絞り行動

56年の日本被団協結成大会。大会宣言は「破壊と死滅の方向に行くおそれのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄との方向に向かわせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願いであります」とうたった。

現在の田中熙巳(てるみ)事務局長は「自分たちを悲惨な目に遭わせた核を、今度は平和のため生かしてほしい。被爆者の間に、そんな気持ちがあったと思う」と振り返る。

健康被害や生活苦、差別に苦しんでいた被爆者たちはその後も、援護と国家補償、核兵器廃絶を訴え、運動を発展させた。しかし60年代、原水爆禁止運動が内部対立を深めたあおりで、日本被団協も分断の危機に直面する。

「大同団結して核兵器をなくすという一点に絞り、何とか統一して行動するしかなかった。自然と原発の話題はアンタッチャブルになった」

核兵器の恐怖を知る当事者ですら「平和利用」について賛否の強い意思を示せていなかった。それは被爆者が個人、組織として生き抜くための苦渋の選択でもあった。日本被団協が「脱原発」に踏み込んだのは、福島第1原発事故から3カ月たってからだった。(金崎由美、山本洋子)

    

収束の兆しが見えない福島第1原発事故。
原爆で放射線の恐怖を身をもって知り、反核・平和を訴えてきたヒロシマに与えた影響を探る。


【平和への祈り・まつりの輪 2011】 記事のお知らせ 癸

 ピースラン松本さんのスタート声援の時と「平和乃観音像」「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の写真を加えました。ご覧になってください。(みほさん、写真ありがとう)

【平和への祈り・まつりの輪 2011】記事のお知らせ

お知らせ

1、歌の歌詞のアップについて


「平和への祈り・まつりの輪」その時は準備や話しかけられたりして、
お互いの祈りメッセージがゆっくり聞けない状況がありました。
残念!これって問題!?
あらためて、詞をゆっくり知りたいと、
M!saさん「夾竹桃」、ゴイチさん「ぐるぐるLOVEヘヴン」の詞をリクエストして
アップしてもらいました。
Ken-ichiro Yoshiokaさんの「蝉時雨」はご本人のブログ
http://ameblo.jp/ky1978/day-20110805.html をご覧ください。

2、こだま誠さんの感想やセットリストが昨日届きました!
  書き足しましたので、ご覧になってください。     


ぐるぐるLOVEヘヴン


   『ぐるぐるLOVEヘヴン』     ゴイチ



ぐるぐるLOVEヘヴン、ぐるぐるLOVEヘヴン 暗闇の森の奥の奥


ぐるぐるLOVEヘヴン、月の闇を写す鏡の沼のほとり


咲いた毒キノコ  広島の空に  ベトナムの森に


狂い咲く愛、愛、愛、  奪い愛、愛、愛、  


いがみ愛、愛、愛、   押しつけ愛


色も鮮やかな胞子を撒き散らす   


ぐるぐるLOVEへヴン

 

 


ぐるぐるLOVEヘヴン、ぐるぐるLOVEヘヴン 螺旋を描き地中の奥深く


ぐるぐるLOVEヘヴン、根を張り巡らし不満を吸い上げて


咲いた毒キノコ  摩天楼のビルに   砂漠のモスクに


やり返し愛、愛、愛  うさの晴らし愛、愛、愛


罪のなすり愛、愛、愛  我の張り合い


絡まり合う愛の、愛の二重螺旋


ぐるぐるLOVEヘヴン


ぐるぐるLOVEヘヴン


ぐちゃぐちゃなHELLエデン

 


愛に似せ  型取られ  作られた僕たちは


アガペの泥沼に  身を沈めながら


許し愛、愛、愛  わかち愛、愛、愛


欲しがり愛


木漏れ日ひとすじ  光の射す方へ


ぐるぐるLOVEヘヴン


夾竹桃


 

 広島市の花になっているこの "夾竹桃"

原爆が投下され、この地には何十年も草木は生えないだろうと
言われていたなかでも
いち早く
根をはり、葉をつけ、花を咲かせた植物。


 広島の街にはこの花があちらこちらに咲いています。


 広島に何度か足を運ぶうちに
この木から見た広島の街、人、平和
たくさんのものを
語りかけられているような
そんな気がして

作詞作曲なんてしなかった自分が初めて
このメッセージを伝えたい
そんな思いでつくっていきました。


 今年の4月に太鼓の仲間とボランティアで行った岩手、宮城
津波で根こそぎ消えてなくなってしまった街

原爆が投下され消え去ってしまった広島の街と
津波で何もかも消え去ってしまった街

同じように思え
またいっそうこの唄に
いろいろな自分の気持ちが入りました。



『夾竹桃』
 

この街に降りそそぐ 黒い雨
僕の散らばった体
この体もとに 戻るなら
傘になり 君を守ることができるのに
空へと舞い上る 幾千のみたま
君の流す涙は とてもあたたかく
僕にふりそそぎ 
僕は あきらめずに 目をあける

ずっとこの場所で
僕は待っているよ
風に揺れる花びらが
幸せの空を 飾るまで


愛する人たちが迷わぬように
赤く 赤く 僕は 花咲かす
きっとここにまた
街はよみがえるよ
愛でゆれる花びらが 茜色の夏に笑うまで

根をはり 葉をつけ 花咲かせ
いつもの幸せが戻ってくるように
愛する人たちが 迷わぬように
僕は あきらめず
ずっとここで待っているから



http://youtu.be/nxJ6U_Wjn-o

M!sa


【平和への祈り・まつりの輪 2011】ご報告

今年の【平和への祈り・まつりの輪 2011 は、参加してくださった方々と無事に終えることができました。ここに、ピースランのことも加えて、ご報告します。

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8月6日当日、メンバーの多くが宿泊したホテルでは平和式典に参加する人のために、朝食を5時30分からOPENにしてくれていましたよ。朝食後7時過ぎには私たちはホテルを出て、8時から始まる平和式典に参加しました。

 

 


会場は1万2千の席を準備していると聞きましたが、多くの方が後方に立ってます。後日、新聞には5万人の参列者があったとあります。
ちょうど私の隣席のご夫婦は、福島の南相馬市から広島市南区に避難している方で、望郷を胸に初めて平和式典に参加して「核被害の原点では心は一つ、広島の痛みが自分たちと同じと気付いた。一緒に核廃絶に取り組みたい」と報道カメラに向かい話されている方でした!次の日、中国新聞に掲載されていたようです。
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そして、式典終了後は柵木の古くからの友人、松本政昭さんの「核兵器廃絶」を訴えるピースランに声援を送るために、前日から広島入りいていたメンバーにゴイチさん美穂さんも加わって見送ってくれました。松本さんは9時30分過ぎ、原爆ドーム前を元気にスタートしました。


右後ろに原爆ドームが見えます


「松本さん、頑張ってください!」のエイエイオーしました〜
(みほさん、写真ありがとう)

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  ところで6日式典後の原爆ドーム前は、

   8・6ヒロシマ NO MORE ヒバクシャ みんなでウォーク
         〜原発も核兵器もない世界へ〜

  に集まった人たちでしょうか?凄かったですよ。
  いただいたチラシは 「すべての核と原発をなくせ!戦争をとめよう!
             
              8・6ヒロシマ大行動


     下田礼子さん(被爆者)フクシマからシンディ・シーハンさん(イラクの医師)
     大石又七さん(ビギニ被爆者)もいらしていたようです。

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さて、16時から「平和乃観音像」前広場で皆さんと話し合って、場所を決めてセッティングを開始しました。こちらがいい、あちらがいいと結構やり取りしました。


その後、音響の最終チェックにかかる方を除いて、読経の準備に入りました。


「平和乃観音像」「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」で献花、焼香、そして読経をしました。
今回、只道さんの代わりに柵木が経頭をやらせてもらいました。「般若心経」は片桐さんも身に付いていて心強かったです。


平和乃観音像


韓国人原爆犠牲者慰霊碑

★「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の読経の時は、私たちの前に随分長くチャンゴ代わりにプラスチックの黄色い胴で演奏していた方が、ファンさんをご存知の方で驚きました。
そして、その方にいただいた会報の一部をこの書き込みの最後に載せます。是非お読みください。

★また偶然そこで読経に入って来られた方が、いま八丈島で教員のお仕事をされている方だったり、嬉しい出会いもありました。


「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に奉納しました只道さんの千羽鶴です。

 

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そして予定の18時ころから集いの始まりです。

1、ご挨拶(柵木)

こんにちは!私たちは2007年から毎年8月6日、この日ここで集まり、詩を朗読し、唄い、絵をかき、いろんな平和への祈りを表現しあってきました。ここ広島に原爆が落とされて亡くなられた人たちのことを忘れない!という事と、平和をとり戻す誓いをしてきたのです。しかし、今年は津波地震の天災に加えて、事もあろうに私たちは原発事故による加害者側にも立ってしまったのです。それでも私たちは心を熱く奮い立たせて、今ここに集います。一人一人の平和へのメッセージ、静かに熱く出し切ります。それでは、はじめます!


2、はじめに
ふるさと」メンバー全員と会場の皆さんと一緒に唄いました。
歌詞の紙を配りました。 伴奏:よし笛 柵木

3、柵木富美

    歌:にんげんをかえせ 伴奏:ギター Ken-ichiro Yoshioka

    歌:いぬふぐり    伴奏:ギター Ken-ichiro Yoshioka

    詩朗読:紙の墓 ―亡き妻に 小倉豊文 作「原爆詩一八一人集」より




4、こだままことさん と レイナさん
 (山口県祝島から奥さまと参加してくださいました。お話たくさん伺いたかったです。)
    ,△修椶Δ

    黒い雨
    ひかりのうた(レイナ) 





5、蓮沼ラビィさん
   演奏曲目(ギター弾き語り)

    1曲目: 二人で店を持とうよ(オリジナル)
    2曲目: アリラン(朝鮮民謡 日本語補作詞:蓮沼ラビィ)
    3曲目: 密陽(ミリャン)アリラン(朝鮮民謡 日本語補作詞:蓮沼ラビィ)
    4曲目: 家でテレビを観ているよりも(オリジナル)





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★今回チラシを「どうぞ、おとりください」と書いた紙の上に置いておきました。そして途中から私たちも足を止めてくださる方に「唄っている人のメッセージも載っています。よかったら、どうぞ〜」と手渡しました。チラシにはメンバー殆ど全員のメッセージが載っています。これは大きなことだと改めて思いました。
★会場には肥田舜太郎先生について内部被爆のシンポジウムに出ていた矢郷桃ちゃんもお友達お二人と来てくれました。嬉しかったです。

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6、江戸の風さん
   曲名 1 エリナーリグビ−
      2 Here Come's The sun
      3 LET IT BE




7、柳美穂さん
   詩朗読:「宇宙(そら)の約束」
    山元加津子さんという養護学校の先生が般若心経を心で訳したという詩
   BGMギター演奏:ゴイチ




8、ゴイチさん
    曲名 1、揺れる方舟
       2、ラピスラズリ
       3、ぐるぐるLoveヘヴン
       4、どしゃ降りの雨




9、M!sa さん
    曲名  1 イマジン
         2 夾竹桃
              3 この世界に愛を





10、Ken-ichiro Yoshioka さん

    曲名 1,Bright&Shadow

        2,蝉時雨

        3,にんげんをかえせ(カバー)

 

 

11、終わりのご挨拶&皆さんと一緒に「ヒロシマの有る国で」を唄いました。(柵木)

そろそろ私たちの平和への祈りメッセージも終わりになります。

これからも私たちは気持ちを込めて表現を通じて、広島のことを忘れない!人の命を大切にする、未来に続く地球を美しく、力を合わせて、めげないで、心をふるい立たせていきたいと思います。

最後に皆さんと一緒に「ヒロシマの有る国で」を唄いましょう。歌詞を配りますね。

    伴奏:メロディオン 片桐  ギター 江戸の風 

 

 始めこの歌は難しい印象がありましたが、歌詞も良く皆でのれましたよね。「歌詞の紙をください」と会場でも声があったと聞きました。


 


こうして「ヒロシマの有る国で」も唄い終わり、みんなで後片付けして、元安川の灯篭流しも見ながらホテルに戻り、打ち上げもして、暑い熱い8月6日が終わりました。

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★江戸の風さんには音響機材関係で大変お世話になりました。東京より持ち込んだ電池で駆動するPAスピーカーのお蔭で十分思いを届けられたのではないでしょうか。
★仕事で使わなくなった大きな濾紙に、墨汁を含ませてどうにか書いた幕もどきと、持ち寄ったロウソク、キャンドル、ランタンでそれなりのステージのようになりました。
★写真は吉岡さんのカメラで片桐さんが撮ってくれたんですね。ありがとうございました。こうしてブログにご報告ができてよかったです。
★次の日、私は一人夕方、平和公園の中や
読経をした「平和乃観音像」「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」あたりを歩き、片づけ払った「集い」を行なった同じ場所に立ち、前夜みんなで準備をし祈りの歌声を響き合わせた時を思い起こしてました。皆さま、お疲れ様でした。


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 「平和への祈り・まつりの輪 2011」が終わって


こだままこと
平和への祈り・まつりの輪、お疲れ様でした。素晴らしい集いに参加でき本当に感謝しております。

遅くなりましたが今回の感想を送らせていただきます。
8月6日は広島に生まれた僕にとってとても特別な日です。子供の頃、毎年この日には被曝者の話を聞き写真や映像で繰り返し原爆のことを学んで来ました。今の時代、戦争や核が本当に無くなるか人類そのものが消えてしまうかという究極の選択を僕たちは迫られてるように思います。
その中で広島は、世界に向けて、戦争と核を結びつけたうえで、その二つを無くさない限り再びヒロシマという実在した死の世界がおとずれることを明確に示せる祈りの場であると思います。8月6日の平和公園で集えた事の縁に感謝しこれからも行動と祈りを続け来年も広島で集まり、そのときには世界が今より平和になり、核を放棄している事を願ってます。ありがとうございます。


蓮沼ラビィ

平和祈念式典で隣り合わせた遺族の人から、お母さんが被爆した時の話を聞いたり、献花の花を買いに入った店の被爆2世の奥さんと親しくなったり、広島と縁が出来た気持ちです。
イベントも、野外ステージは初めてでしたが、道行く人が立ち止まってくれたのは、うれしかったです。オリジナル2曲と、アリランを歌いました。戦時中に日本に連れて来られ、被爆し、死んでいった朝鮮の人達は、さぞアリランを聴きたかっただろうな、と思うと、居ても立ってもいられなくて、急遽、コードを付け、日本語の詩を書き加え、朝鮮語とミックスで歌いました。

一緒に行ったみんなの思い、メッセージもひしひしと伝わって来て、共にこのイベントが出来て、よかったです。

来年も、広島へ。そして長崎へ、一人でも、ギターを持って歌いに行きたいです。

江戸の風
「平和への祈り・まつりの輪 2011」が終わって

みんなで力を合わせて広島の地で汗をかきながら作り上げたイベントは

終わってみると大変だったけど楽しかったし実にさわやかな気持ちでした。

胸に秘めた広島への思いを それぞれが音楽や詩に託して 平和祈念式典会場の広場で発信できたことは、みなさん貴重な経験になったと思います。

みなさん本当にお疲れさまでした ありがとうございました。

柳 美穂
有意義な時間を過ごせて感謝しております。
*美穂さんは東京から広島の大崎上島に移住。原発に対して具体的な行動をされていますね。「虹つうしん」も発行されていますね。お話たくさん伺いたかったですね。

ゴイチ
広島の地に眠る魂に祈りを 込めて歌うつもりでしたが
実際マイクの前に立ったら、その気持ちは何処かに 消えてしまい、
足を止めて聴いてくれている人たちに対して歌っていました
それで良かったと思っています

M!sa
以前来た時に 広島の街に咲く 夾竹桃
その花からメッセージをもらい 初めて作詞作曲をしました。
今回の歌う場所には目の前に 夾竹桃が赤々と咲き乱れていて
風に揺らぎ なんだか夾竹桃の唄を聞いて踊ってくれている
そんなふうに見えて 歌いながら涙をこらえるのにやっとでした。
たくさんの方が足を止めて聞いてくださいました。
他の出演者の祈りの唄にも感動しました。

生きている人だけに歌う唄ではない そこの地で眠る人たちへの唄 とても胸をうたれました。

平和記念公園の 原爆死没者慰霊碑の石室前面には
『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』と刻まれています。
でも今もなお何度も何度も繰り返される
この『過ち』 過ちを繰り返さないために…
自分に何ができるだろう 何か行動していかなくては そう思わずにはいられません。
出演者の皆様 暑い暑い広島
平和への祈り・まつりの輪 本当にお疲れ様でした
ありがとうございました。
足を止めて聞いてくださった方々 ありがとうございました。

Ken-ichiro Yoshioka
8月6日、原爆が広島に落とされた日に戦争をテーマに書いた「蝉時雨」を平和祈念公園で唄えたことを誇りに思います。戦争で原爆で亡くなった方達の叫びを今後も唄い続けたいと思います。

One Love,Hiroshima.

 

片桐三恵子

始まったら、あっという間に終わってしまった気がします。
とても楽しい時間をすごしました。ありがとうございました。

皆さまお疲れ様です。

 

柵木富美

今回「平和への祈り・まつりの輪 2011」に想いもあって責任者を申し出ました。第一に、自分が平和への気持ちを“声に”“歌に”“行動に”出たかったからです。声、歌は広がり自分の気持ちを深めることができます。8月6日に向かって集まったメンバーが一つの大きなハーモニーを奏でるくらいになるのは、あと一歩二歩と思いました。私たちを取り巻く世界が具体的にどうなのかも学び、その上に立ち表現するには、一つ一つの情報交換も盛んにして意見交換もして、小さな事でも話題にする事が大切だと思いました。

ブログもどうかしら、freemlもやってみました。でも、もっと話したかったですね。最終的には、お一人お一人の持っている力が凄いです!ぶつかり合ってでも深まって広がって、そして新たなスタートに立ちたいものです。ありがとうございました!!




泉南マダンつうしん 2011.07.30号より
 
 ■「戦後」平和運動とは何だったのか
 
韓国の作家、表文台は、峠三吉の「へいわをかえせ」の詩に、あとがきを添えずにはいられなかったという。

  ちちをかえせ ははをかえせ
  としよりをかえせ こどもをかえせ
  わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ
  にんげんの にんげんのよのあるかぎり
  くずれぬへいわを へいわをかえせ
                   (峠 三吉)


  炭坑の壁に カアサン ハラヒモジイ
  落書のこした 徴用少年の ひからびた
  胃と腸を かえせ

  慰安婦に きょうせいされ いたみと羞恥に
  身を うみに なげた 一六娘の
  じゅんじょうを かえせ
  アオチ教会に ひざまづいて
  安産を こいねがう はたち にいよめの
  日本刀につきさされ こぼれた
  血まみれの はらわたと 嬰児の
  ハレルヤをかえせ

  日本軍に くびを はなられ
  野っ原に ころぶ 首なき胴体は
  義兵の おたけび
  独立万歳を かえせ
                   (表文台) 

この二編の詩が「戦後」の日本の平和運動が乗りこえられなかった問題点を端的に表している。このような問題点の克服から始まり。それを乗りこえていく具体的な行動・作業こそが、私たちの<戦後50年>の第一歩ではないだろうか。  
 
*「平和への祈り・まつりの輪」の催し物も日本側からだけの片手落ちにならないように教えていただいたように思いました。ラビィさんが「アリラン」を唄ってくれました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*多くの皆さんに支えられて広島そして長崎まで行ってきました。
 ありがとうございました。
 人と人がつながって広まって深まっていくことを改めて大切に思いました。
 ご意見、感想をお待ちしています。by 柵木

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最後に、長崎にゴールした松本さんをアップします。

広島のあと長崎に向かった私は9日(火)13時40分に長崎平和祈念像前にゴールする松本さんを長崎・鹿児島の友人と迎えることができました。


                    長埼平和祈念像前にゴールのとき 

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マナ・オリさん

【平和への祈り・まつりの輪】も無事に終わり、次の日には只道さんに託された「千羽鶴」を持って、片桐さんと旧広島市民球場に行ってきました。

昨年、只道さんとお友達になったオランダ人アーティストのマナさんにお会いするためです。

只道さんからのプレゼントの千羽鶴をマナさんに渡し、広島経済大生と2千羽の折り鶴をつなぎ球場を囲むマナさんのアート展示も見てきました。

わたし、鶴を揃えたいんですがね〜



つながった折り鶴が球場を囲んでます〜 外周は約600メートルのようです。


風で横になってますね。ちょうど読めます。高校生の皆さんの平和のメッセージです。


マナさんの作品でホッと一息です。

そして、そこでは1日で1万羽の折り鶴を折るギネス挑戦もしていました。

只道さんの千羽鶴の梱包のために離れてしまった、鶴と鶴の間の糸通しを直す暇もなく、マナさんに「あなたも折って折って」と言われて片桐さんと鶴も折ってきました。


写真の内容が前後していますが、ギネス挑戦の「折り鶴10000羽」の垂れ幕をお見せしたくて、ここに載せましたよ。


皆さんも一生懸命折っています。

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そして9日、今度は長崎の原爆資料館でマナさんの作品「連鶴」にお会いしました。

館内の回り階段の壁にずっとマナさんが寄贈した連鶴が!
幅15cm、長さ150mの一枚の紙で折られているとあります。
感動です!






マナさんは折り鶴で平和を訴えているんですね。
昨年は広島経済大学の学生さんと、折り鶴の早折り世界記録に挑戦して、100羽を54分30秒で
新記録を達成したそうです。


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